旧マッケーレブ邸 (1)
☆旧マッケーレブ邸・雑司ヶ谷旧宣教師館 メモ
雑司が谷旧宣教師館は、明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てたものです。マッケーレブは、昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間この家で生活をしていました。豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なものです。
また、当時の新興住宅地における布教活動と幼児教育の拠点としての意味を持っていたことを地域の人が記憶しており、昭和62年9月1日に、豊島区の登録有形文化財として登録し、その後、特に重要な文化財として保存、活用をさらに進めるため、平成4年11月10日に、指定文化財としました。その後、平成11年3月3日、東京都指定有形文化財(「旧マッケーレブ邸」)になりました。
この建物は、木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式であり、細部のデザインにはカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を写した質素な外国人住宅です。
☆旧宣教師館
1907年
雄司が谷霊園から少し入ったところに建つ木造洋館。 豊島区内では最古の木造住宅とのことだが、立教大学の宣教師館など古いものが次々と失われるなかでは、豊島区に留まらず貴重な明治の洋館である。もとの住人は、明治時代に来日したJ.Mマッケレブ。 太平洋戦争が始まるまで、30年以上日本で布教を行い、子供たちの教育にも熱心に取り組んだ。 建物は、下見板張りの簡素なもの。 19世紀末のアメリカの郊外住宅がモデルといわれる。 出窓や窓割などに見える、派手さや仰々しさのない、かわいらしいデザインが好ましい。 内部も簡素なままによく保存されていて、建物中央の暖炉が当時の暮らしを偲ばせる。豊島区が文化財として保存・展示。
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