明治丸 (1)
☆明治丸の概要
明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻業務用に発注し、明治7年に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で、翌8年横浜に回航されました。
一等飛脚船同様の出来と言われたこの船は、特別室やサロンを備えた豪華な仕様の新鋭船で、単に燈台業務ばかりでなく、ロイヤルシップの役目も兼ねていました。 明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代の重要な場面で活躍しました。 なかでも明治8年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せ、英国船より早く小笠原に到達しました。 このことによって、小笠原諸島はわが国の領土となったのです。 その後の沖ノ鳥島、南鳥島の領有を含め、日本は領海と合わせて世界第6位となる447万k㎡の排他的経済水域を確保することとなりました。その約3分の1に当たる約150万kI朗ミ東京都小笠原村に属しています。
また、明治9年、明治天皇が東北・北海道巡幸の際、青森から乗船され函館を経由し7月20日に横浜に安着されました。 この日を記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され、平成8年に国民の祝日「海の日」となりました。
およそ20年間、燈台巡廻船として活躍した明治丸は、明治29年に商船学校(本学の前身)に譲渡されました。 それからは係留練習船として昭和20年までの約50年間に、5000余人の海の若人を育てました。 大正12年の関東大震災や、昭和20年の東京大空襲では、被災した多くの住民を収容し、災害救援にも貢献しています。
昭和53年には、わが国に現存する唯一隻の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として、国の重要文化財に指定されました。 船としての重要文化財指定は明治丸が初めてです。
その後、老朽化が進んだため、再び平成25年12月より、本学と文化庁により大規模修復工事が行われました。平成27年3月に竣工し、その美しい姿がよみがえりました。
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