睡足軒・紅葉亭
睡足軒・紅葉亭(新座市睡足軒の森・平林寺向)
新座市野火止1-20-12、水休
☆睡足軒・平林寺境内、新座市野火止
江戸時代末
松永安左エ門(耳案)が購入した土地に、1938年飛騨近山民家を移築、1972年平林寺に譲渡し寮舎睡足軒となり、2002年新座市に貸与。
☆睡足軒
萬治三年幽厳が岩築平林寺山内に睡足軒を構えて退居、寛文三年寺堂塔とともに野火止の総門山門北側に移築。
現在の睡足軒は、古くは藩政時代高崎藩右京大夫家陣屋・後に松永安左エ門氏屋敷地を昭和四十年代に平林寺が譲り受け、飛騨高山合掌造鉈削り柱を有する民家を移築改造し寮舎とした。
☆平林寺
古くは岩槻にあったが、江戸時代に新座に移った。
☆武蔵野
水の無い荒野台地では焼畑農業だった。 野火の煙は紫色にたなびいたので、紫の野→むらさきのの→むらさきの→むさしの→武蔵野 ともいわれる。
※紫根が採れたとの説もある。
☆野火止
野焼きの火が住家などに飛び火しないように見張りの塚・堤を築いたので、この地を「野火留」、明治時代に「野火止」に変わった。
☆三冨新田
元禄七年柳沢美濃守吉保が曽根権太夫貞刻に命じて開拓した。 用水に頼らず深井戸を掘り開拓したが、難工事のため脱落者が多いので精神的支えとなるようにと多聞寺・多福寺を建てたといわれる。
☆武蔵野焼き
生イモの中をえぐり出し、栗・銀杏・百合根・ムカゴ・松茸を詰め、味噌・醤油で天火焼きしたものらしい。
☆武蔵野盃・大盃
吉原伊勢物語に、この座には上戸ありとて、大盃を出さんとす。 男わびて、
むさし野をけふはな出しそ大酒につまもこまれりわれもこまれり
と見えたり。 大盃をむさし野といふよしは、節用集大全に、酒盃大者曰武蔵野一也。 言野見不尽之意也といへり。 そは酒のおほくして飲つくされぬを、武蔵野のさしも広ければ、野の見尽されぬといふにいひかけしなり。 又筑紫なる人のもとより、しるしおくられたる盃の銘に、ある盃に、かくの如く書つけたるあり。 こは謎のはんじものにて、永禄、天正のころ、もはら世にもてはやしける、 酒をいましむる隠語にて、工人の箱を造るに、すみかねを正しくつくりたりとも、生木にてつくれば、あひ口たがふものなり。 さればこの大盃にて飲むときは、心正き人にても、口のたがふことたびたびあるものぞかしとの、いましめなるよしいひおこせたり。
※飲み尽くせない→のみつくせない→野見尽くせない
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