哲学堂公園
哲学堂メモ
☆四聖堂
明治三十七年四月建立
木造平屋建・方形・桟瓦葺・一重
本堂に東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの「四聖」を世界的四哲人として祀るために建立されました。
哲学の将来的発展を祈念し哲学祭を開催した圓了の意図が具現化された建物です。三間四面の小堂で四面とも正面。中央には哲学の起点、基礎となる二つの象徴として、心即ち精神は円形で光るものとして電球、物即ち物質は心を汚すものとして香炉がおかれています。これは、心が物欲で汚されても修養を積めば清浄な心は失われないことを表していて、内部、天井中央に装飾額があり、釈迦涅槃像(和田嘉平作)が堂内に安置してあります。堂内に南無絶対無限尊と刻んだ石柱、唱念塔(しょうねんとう)をおいています。四聖の像(橋本雅邦画)「孔釈瑣韓」の四字額(副島種臣書)があり11月の哲学堂祭に掲額されます。
☆六賢台
明治四十二年十一月建立
木造六角塔・外観2層・内部3層・相輪・一重・二重・桟瓦葺・外部板張
ここに東洋的哲学人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅仙の六人を「六賢」として祀ってあります。赤色塗り、六角形の周囲六間の建物で、四聖堂の西に建っています。六賢の肖像を各面に扁額として掛け、名称を鋳刻してありましたが現在は見ることはできません。屋根の上に相輪と九つの法輪(九輪)があり、最上部に宝珠を付け屋根の棟瓦の一端に天狗がついています。
☆無尽蔵
推定明治四十二年~四十五年頃建立
[二階建・瓦葺寄棟]無尽蔵は陳列所で、井上円了博士が国内各地を周遊された時の記念品など、種々雑多な物が陳列されていました。二階建てで一階は[万象庫]、二階は[向上樓]と名付けられています。
☆宇宙館
大正二年十月建立
木造平屋建・方形・桟瓦葺・二重・出隅に切妻ポーチ
哲理門を抜けた左手にあり、建物脇に幽霊梅(ゆうれいばい)があります。哲学が宇宙の真理を研究する学問であるとの観点にもとづき、さらに圓了の考案で内部横斜めに皇国殿という八畳敷の一室を哲学の講習の講義室として設けられました。聖徳太子立像(和田嘉平作)が堂内に安置され屋根上部の棟部分に烏帽子がついています。
☆絶対城
大正四年十月建立
[木造二階建・寄棟(腰折屋根)越屋根付・桟瓦葺一部鉄板葺・二重・外壁鉄板張・玄関陸屋根平屋・鉄板葺]
万巻の書を哲学界の万象とみたて、それを読み尽くせば「絶対の妙境」に到達するという寓意から図書館を絶対城と名づけました。圓了の蔵書を中心とした図書館で、内部右側に国書・漢書を左側に仏書を収蔵していましたが、図書館本来の目的は果たさず今日に至っています。階上は観念脚と呼ばれる部分で、現在はとりこわされている屋上には観望台を置いていました。
☆哲理門
☆三学亭
☆常識門
☆髑髏庵・鬼神窟
☆演繹観
☆四阿
☆哲学堂、六賢台・三学亭・四聖堂
1909年
哲学堂公園を遺した井上円了は、東洋大学の創始者としても知られる哲学者。 東大で哲学を学び、卒業後、「哲学館」を創設して教育者として活動。 これが発展したのが現在の東洋大学である。哲学・宗教を中心とした幅広い知識と数度にわたる世界周遊で得た見聞をもとに、全国で講演活動を行い、「妖怪博士」として親しまれた。哲学堂公園は、井上が晩年を過ごしたところで、人々の寄付により井上が構想したいくつかの建物が残る。 公園のシンボル的な存在となっている六賢台は東洋の六賢人(聖徳太子・菅原道真・荘子・朱子・龍樹・迦昆羅)を祀ったもの、四聖堂は世界の四賢人(孔子・釈迦・カント・ソク ラテス)を祀ったもの。
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