おろし金
☆木屋・東京都中央区日本橋
寛政四年創業。 江戸日本橋室町・本町には、刃物の木屋・三味線の木屋・塗物の木屋・紙の木屋、などが軒を連ねていた。
大阪の豊臣家御用薬種商林九兵衛を、徳川家康が江戸に招き・日本橋本町に店を構え、大阪本店の暖簾分けとして姓の「林」を二つに分け「木屋」とした。 (後に漆器商となった)
寛政四年、木屋に奉公していた伊助が暖簾分けを許された。 本家は商いでの競合を避けるため同業を許さず、色々な木屋が展開した。
伊助は打物問屋(刃物問屋)を開き・「木屋伊助」とした。 後に、木屋加藤伊輔→木屋加藤伊助商店→木屋刃物店、と改称。
☆うぶけや・中央区日本橋人形町3-9-2
天明三年創業。 初代喜之助が、大阪昆布名店「小倉屋」の二軒隣で、毛抜き・剃刀・鋏など細工物製造販売をはじめた。
阿波の藍問屋に生まれた市二郎(後に四代目)が道楽が過ぎて勘当され、「うぶけや」に嫁いだ乳母に頼り後に養子となった。 後にこの道楽者が商才を発揮し、明治十年メリケン鋏(裁ばさみ)が大ヒット・明治三十五年頃には全国小中学校木工教育用に鑿・鉋・鋸などを納入するようになった。
※うぶ毛も、抜ける・剃れる・切れる、というので「うぶけや」。
☆うぶけや
天明三年喜之助が刃物店を開き、「鎌忠」と称し鋏・剃・毛抜・包丁を造った。 明治初期吉田弥吉作メリケン鋏で評判となった。
※うぶけやの偏額、「う」は伊原雲涯・「ぶ」は丹羽海鶴・「け」は岩田鶴皐・「や」は近藤雪、の寄せ書きらしい。
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