はた神さま
○はた神さま・機神社・高橋新五郎遺跡
堀越神社@蕨市塚越3-2-19
元禄元年塚越村に住み始めた高橋新五郎、五代目新五郎がこの地に機業をおこし、稲荷神社(塚越神社)境内に祠を建て「関東宮」として祀った。
☆塚越稲荷社境内に鎮座する末社。 「機神様」は、蕨地方を一大織物の町とした功労者、「二代目高橋新五郎・いせ夫妻」と新五郎が信仰していた「関東宮」(住吉神社とも徳川家康とする考えもある)を合示巳したものです 。
○稲荷社
明応年間または貞享元年の創建ともいわれ、経塚の上に建てられた。 安政五年社殿焼失翌年再建。
※昔玄快の沙門が伏見稲荷参籠の折り、お告げにより関東を下り当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いた。 これが経塚越村とよばれ、転訛して塚越となった。
☆高橋家・足立郡塚越村 元禄年間分家として独立、四代目から新五郎を襲名。 享和年間初代新五郎が糸商人として綿織物業を始める、文政八年頃二代目新五郎が「高橋機」を発明、高橋家を中心とし蕨の綿織物業が盛んになり、二代目新五郎没後は機祖神として祀られた。 三代目新五郎は分業による「出機制」により蕨の綿織物生産は飛躍的に増大した。 安政の横浜港開港により低廉な綿織物が輸入されるが、英国製綿糸を使った「塚越双子」で挽回し・全国市場を制覇した。 そしては、高橋家の綿織物業は明治四十三年終端した。
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