氷川女体神社
○案山子の碑・唱歌「案山子」発祥の地
唱歌「案山子」を作詞した武笠三、氷川女体神社神主家系といわれる。
☆案山子・おどし・かがし
古くは、獣肉を焼炙り・串に刺して立て、臭いをカガシメて鳥獣を追い払った。 地方によっては、人毛髪など。
☆氷川女体神社
奈良時代以前の創建ともいわれる。 寛文七年、徳川家康が忍城主阿部忠秋を奉行として再興。 見沼方向に向き沼の守社とされるが、見沼は干拓された。
☆内谷氷川神社
一間社流見世棚造り。
☆元太氷川神社旧本殿
1970年まで元太氷川神社本殿としてつかわれていた、一間社流見世棚造り。
☆上大久保氷川社本殿
埼玉大学建設にあたり移築。 室町時代につくられた・大宮氷川神社旧本殿を譲り受けた、ともいわれるがその後改築。
☆大牧氷川女体神社本殿
宮本氷川女体神社の二女・附島氷川女体神社の三女をまつった、宮本氷川女体神社の古い分社ともいわれる。
☆大間木氷川女体神社本殿
江戸時代以前築・寛文年間に大宮氷川神社旧本殿を買い受けたともいわれる、1973年屋根解体修理。
☆西堀氷川神社本殿
江戸時代後半の建立。
☆神間関係
田島氷川神社は下の宮で姉、西堀氷川神社は上の宮で妹、姉妹ながら仲が悪かった。 例祭の日は涙雨が降った。
※大宮では金山神社対氷川神社、大宮高鼻氷川神社対川越老袋氷川神社、など神々の争いも多かった。
○西堀氷川神社・田島氷川神社
西堀氷川神社は上の宮には妹神、田島氷川神社は下の宮には姉神。 姉神曰く「妹のくせに神の宮、神殿だって大きくて立派だ」、その不満涙は例祭(秋の節供)にいつも雨をよんだ。(西堀田島の泣き節供)
下の宮社前の橋、馬に乗ったまま渡ろうとすると人が振り落とされた。 これも姉神が怒っているとされ、村人達により太鼓のような狭い石橋にした。(他咄もある)
※姉神と妹神、元々仲良しだったのが上の宮と下の宮に別れたので、悲しくて泣いたとも。
☆田島西堀泣き節句
さいたま市桜区田島4-12-1・さいたま市桜区西堀8-26-1
西堀上の宮前で落馬が続くのは、主祭神天照大神が馬嫌いのせいだとして、祭神を田島下の宮に移した。 西堀上の宮に仲良く祭られてた姉神と妹神、姉神も下の宮に移さた。 別れ別れになった姉神と妹神、悲しくて流す涙が泣き節句になるともいわれる。
コメント