東京大学 (2)
☆東京大学大講堂(安田講堂)
大正/1925
鉄筋コンクリート造4階建塔屋付、建築面積1818㎡
ゴシック及び表現主義の影響が色濃く見られる垂直性の強いデザインが特徴。 外壁は赤茶色のタイル貼りで、意匠的に極めて優秀である。 設計は内田祥三、施工は清水組。 昭和63年から平成6年にかけて改修が行われている。
☆東京大学本郷正門及び門衛所
明治/1912
鉄筋コンクリート造平屋建、銅板葺、建築面積46㎡
東京大学の正面を飾る一連の施設で、左右対称型に正門・煉瓦塀・門衛所が建ち並ぶ。 花崗岩製の正門は、冠木門を基調にデザインされたといわれ、むくり屋根の妻を見せる門衛所とも伝統的な様式形態を保ちつつ新たな時代性を追求している。 設計は伊東忠太。
☆東京大学工学部1号館
昭和前/1935
鉄筋コンクリート造4階建、建築面積3263㎡
旧工科大学本館が関東大震災で損壊したため、その跡地に建築されたもので、昭和10年に竣工。 鉄骨鉄筋コンクリート造で煉瓦タイル貼になる。 外観は正面にゴシックアーチのアプローチが付き、各柱筋にバットレス風の付柱を持つ。 設計は内田祥三。
☆東京大学法学部3号館
昭和前/1927
鉄筋コンクリート造4階建、建築面積1727㎡
正門のすぐ右手に建つ校舎で、工学部列品館とは東西軸を挟んで向かい合う。 正面の出入り口は列品館と同様のゴシックアーチのアーケードを設けるが、東面の意匠は総合図書館と工学部1号館を結ぶ軸線を意識した垂直線を強調する構成になる。 設計は内田祥三。
☆東京大学工学部列品館
大正/1925
鉄筋コンクリート造3階建、建築面積766㎡
正門の左手奥に建つ建物で、工学部の本部が置かれる。 建築途中に震災を受けたが、内田祥三の設計で、彼の震災復興計画に符合する形で完成した最初の建物としても知られる。 かつては伊東忠太や関野貞等の収集した中国や朝鮮での調査資料が陳列されていた。
☆懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸庭園)
明治時代
東京大学本郷構内の南西隅には、同学の迎賓施設である木造和風建築の懐徳館が建ち、その南に明治後期の旧加賀藩主前田氏本郷本邸に起源を持つ庭園が広がる。 昭和3年に前田氏は敷地を大学に寄贈し、昭和10年に大学は庭園に臨んで建っていた日本館と西洋館のうち西洋館に懐徳館と命名した。 現在の懐徳館は、第二次世界大戦により焼失した日本館の一部を模して昭和26年に再建した木造建築であるが、同じく焼失した西洋館の名称を受け継いだものである。 第15代前田利嗣は明治天皇の行幸を願って敷地南半部の改築を決定し、その遺志を継いだ第16代利為は明治38年から同40年に日本館・西洋館を建造し、同43年の行幸の直前に庭園を築造した。
現在の庭園は敷地南端を占める円錐形の築山の頂部から北東斜面・裾部にかけて滝石組み・流れ・池泉が巡り、敷地北半を芝生地と懐徳館の木造建築が占める。 築造当初の遺風及び意匠の特質が伝わり、明治後期から大正期にかけての日本庭園に共通する特質を持つのみならず、江戸時代の旧藩主が近代の東京の都心に築造した庭園の遺存例としても貴重であり、芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高い。
☆東京大学野球場観覧席
昭和前/1937
観覧席及びダッグアウト 鉄筋コンクリート造3階建、建築面積460㎡、フェンス 鉄筋コンクリート造、延長352m
東京大学弥生キャンパス内に所在する。 内部に記者席、更衣室等を配する階段状の観覧席に、片持ち支持のアーチ形屋根を架ける。 観覧席の左右に配されたダッグアウト、グラウンドを囲むフェンスを含め、全体をRCでつくる。 戦前に遡る数少ない現役の野球場施設。
☆旧加賀屋敷御守殿門(赤門)
江戸後期/1827頃
三間薬医門、切妻造、本瓦葺、左右繋☆塀及び離番所付
繋塀 左右各4.1m、本瓦葺
番所 左右各桁三間、梁間二間、一重、前後唐破風造、本瓦葺
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