前橋市総社歴史資料館
前橋市総社歴史資料館メモ
☆秋元氏と天狗岩用水
慶長六年初代総社藩主となった秋元長朝は、総社城の築城や城下町の建設・天狗岩用水の開削など数々の事業を行って領内の石高の増加に努め、総社の地を豊かな土地へと変えました。 秋元氏が総社藩を治めたのは、長朝と泰朝の二代30年あまりですが、総社の基礎を築いた秋元氏は、転封後もなお領民に愛されました。
秋元長朝は、入封後まもなく新田開発などを目的として、天狗岩用水の開削に着手しました。 大変な難工事でしたが、領民の協力を得て3年後には通水に成功しました。
秋元氏の菩提寺である光巌寺には、領主と領民のきずなを示す碑が残されています。 力田遺愛碑は、領主であった秋元氏の功績をしのんで、領民が建てたものです。
☆幻の白鳳寺院「山王廃寺」
大正時代初めに、塔の心柱を支える塔心礎が偶然発見されて見つかった山王廃寺は、その後の調査の結果、東日本を代表する古代の寺院であったことがわかりました。 昭和~平成の調査によって、寺院の伽藍配置が明らかになったほか、石製鴟尾・根巻石・金銅製飾金具・塑像など数多くの優美な出土品が発見されました。 ☆石製鴟尾・根巻石(複製品)
鴟尾や根巻石などさまざまな石造物が出土しています。 鴟尾は屋根の棟飾で、現存する石製鴟尾はわずか数例のみです。 また根巻石は塔の心柱の根元を飾ったもので、蓮の花をかたどっています。
山王廃寺では、豪壮な寺院の様子を伝える資料が数多く出土しており、本資料もその一つです。 緑釉陶器の水注・埦・皿・銅埦などが一括で出土しており、儀式などで用いられたものと考えられます。
☆総社古墳群
総社古墳群は、榛名山の裾野すそのの末端に南北約4kmにわたって分布する古墳群で、5世紀後半から7世紀後半にかけて連綿れんめんと築かれました。 総社古墳群は、その規模や古墳造りに駆使くしされた高度な技術、優美な出土品などから、東国を代表する古墳群の一つに数えられます。遠見山古墳→王山古墳→(王河原山古墳:消滅)→総社二子山古墳→愛宕山古墳→宝塔山古墳→蛇穴山古墳の順で築かれたと考えられます。
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