地福寺
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☆地福寺 石神詞
吉田東伍博士の「大日本地名辞書」に『白子駅南の小寺の境内一樫樹あり、その皮肉の間に挿入する所の石器ありて、四五寸許を露出す、石器は謂ゆる石棒の類とす』とあるもので、以前には石神大権現という詞があったが焼失し、御礼も樫の枝閲に陽石の突出した図を措き、「地福開運石神大権現」「武州白子」と刷ったものを出していたが今はなく、近在では石神をセキ(咳)の神と転化し、子供の百日咳に御利益あり、平癒すれば団子をお礼に奉納するという。
※目黒・北野天神の石神様に似ているらしい。
☆石神
何らかの特徴を持つ石に神様が依る・石も成長すると考えられた。 その代表が、「さざれ石」→「巌」。
☆まくら返しのお地蔵さま
京都から慈光寺へ向かう尊恵、白子で病に倒れて亡くなった。 哀れに思った村人達が葬式の準備をしていると、夜中に白衣をつけ・童子をつれた地蔵が現れ「尊恵は明朝生き返る」と告げた。 そしては尊恵は生き返り、お礼にと懐から一寸ほどの地蔵を取り出し・この地にお堂を建て地蔵様を奉った。
※北枕で寝かせていたのが、西向きに生き返ったので、枕返し。
☆地福寺
むかしむかし、あるところに尊恵というお坊さんがいました。 あるとき、尊恵は慈光寺の忠尊という人に会いに行こうとして、途中で白子に寄りました。 すると、突然に尊恵は具合が悪くなり、倒れてしまいました。 村の人々は尊恵を介抱しましたが、三日たっても意識は回復しませんでした。 村人たちが懸命に看病を続けたところ、尊恵は息を吹き返しました。 目覚めた尊恵は「自分は、地獄・極楽に行ってきた。 そこに白衣童子があらわれて、「ここに寺を建てるようにと言われた」と語りました。 尊恵の手には、右手に地蔵様が握られていました。そこで、その地蔵を「枕がえしの地蔵」として本尊にまつり、ここに寺を建てることにしました。その寺は地福寺と名づけられました。
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