朝倉古墳群 メモ
☆天川二子山古墳
前橋市文京町3-26
全長104m、前方部(幅76m・高さ9.5m)、後円部(径72m・高11m)
6世紀後半
前橋市街地の南東、文京町から朝倉町にかけて、かつて大小の古墳が集中的に存在していました。 天川二子山古墳は、その古墳群中の代表的なものです。 全長104mの前方後円墳で、横穴式石室と考えられています。 全長にくらべて後円部の径や前方部の幅が比較的大きく、くびれの少ないずんぐりとした形をしています。 二段に築かれた墳丘の表面には、葺石とみられる川原石が多く認められました。また、周堀の痕跡も残されていました。 六世紀後半の築造と推定されています。
☆八幡山古墳
前橋市朝倉町4-9-3
全長130m、前方部(幅59m・高8m)、後方部(幅72m・高12m)
4世紀後半
八幡山古墳は、四角形に台形を接合したような形の、全国的に数少ない前方後方墳です。 全長130mで周堀があり、周堀を含めると範囲は南北180m・東西125mに及びます。 縦穴式石室とみられますが、古墳内部は調査されていないので、詳しいことはわかりません。 後方部の墳頂部近くに玉石敷きがあり、一部に粘土の詰めてある部分も認められたとのことです。四世紀中頃の築造と推定されてます。
☆前橋天神山古墳
前橋市広瀬町1-27-7
全長129m、前方部(幅68・高さ7m)、後円部(径75m・高さ9m)
4世紀後半
前橋天神山古墳は、もとは全長129mの大前方後円墳でしたが、現在は、後円部の中心部分だけを残しています。 後円部の表面は三段に構築されており、石敷きの頂上部には土器等が配列されていました。 また、周堀や葺石の跡も確認されました。 埋葬施設は、後円部石敷下の墓壙の底部をさらに掘り込んで造られた粘土槨で、長さ7.8m・幅1.2m前後の巨大な割竹形木棺を覆ったものと判明しています。 発掘調査により、三角縁神獣鏡をはじめ、銅鏡・銅鏃・剣・大刀・斧・玉など15種165点の副葬品が発見されました。出土品は国の重要文化財に指定されています。 東国で最も古い古墳のグループの一つと考えられ、4世紀中頃の築造と推定されています。
☆金冠塚古墳
前橋市山王町1-13-3
全長52m、前方部(幅42m・高さ3m)、後円部(径32m・高さ4m)
6世紀後半
金冠塚古墳は、二段の墳丘を持つ前方後円墳で、周に堀跡もありました。 石室は横穴式石室で後円部の南西方向に開口し、角閃石安山岩を五面に削った石を用いています。 玄室は、長さ3.6m・幅2.6mで、河原石を使った馬蹄型の裏込めで包み込まれています。 石室から出土した金銅製冠は、新羅(韓国慶州)の古墳から出土した冠に類似しており、六世紀後半には、すでにこの地に大陸文化が深く浸透していたことがうかがえます。 冠は、東京国立博物館に収蔵されています。
☆不二山古墳
前橋市文京町3-151-6
全長54.5m、前方部(幅35m・高さ6m)、後円部(径31.5m・高さ7m)
6世紀末
不二山古墳 は、朝倉古墳群の北端に位置する前方後円墳で、墳丘の北および西側の一部は削られていますが、かろうじて原型を保っています。 後円部南側には、かつて横穴式石室が開口していましたが、現在は閉じています。 石室は両袖型で、五面削りの角閃石安山岩 を用いて、互目積みに構築されています。副葬品は既に盗掘されていたため、その全貌は明らかではありませんが、冠をはじめ直刀、槍、耳環などがありました。
☆亀塚山古墳(市指定史跡)
山王町一丁目28-3
全長60m・後円部径40m・高さ6.5m
6世紀前半
亀塚山古墳 は、前方後円墳の中でも古い形の帆立貝式古墳です。 帆立貝式古墳とは、円墳状の主部に低く細長い方形の壇状部を取り付けたもので、形が帆立貝 に似ています。 しかし、この古墳は「亀」の形を思わせるので、古くから亀塚と呼ばれてきました。 埴輪などから6世紀前半の築造と推定されています。
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