待乳山聖天宮 メモ
真土山聖天宮
☆待乳山は、その形状からして昔は古墳(高塚)だったと考えられる。
※待乳山聖天宮は土地柄、花柳界に信仰が厚かったといわれる。
※川沿いには待乳の渡し(竹屋の渡し)があり、対岸は向島。
○石枕、金龍山の古墳内に納められ・死者の頭を固定した供物ともいわれる。
※古く浅草付近には多くの古墳(高塚)があったが、観音様を中心とした繁栄歓楽地となり、崩壊消滅したともいわれる。
※金龍山、古くは金の龍を掘出していたともいわれるが、定かではない。(鍍金品・埋蔵品のことか?)
※浅草には、土師氏の移住伝説がある。
※地名の山谷、山は待乳山(真土山)を示す。
※真土山は、富士山信仰に基づくともいわれる。
☆聖天は秘仏であり一般には拝めない(公開できない)ものが多く、十一面観音を代わりとすることがある。
☆聖天様に供えるもの(歓喜団)にモーダカ(Modaka)というものがある。 この歓喜団は一種の糖菓であり、古くは具を薄皮で包んだ「ふかし饅頭」様であり・包口を巾着状に絞った。 さらには、巾着(宝袋)と大根には、俗的意味も含まれるともいわれる。
☆大根(羅葡根)を持つ画像が大根を供える習慣を生じ、やがては聖天のシンボルマークになったのであろうが、もう少し穿った見方をすると、象頭人身双身の聖天は異形であり、また交接像であるから公開しにくい。 ほとんどが秘仏である。 それで白い人体の肌をも想わせるような大根の打ち違えをもって、ミトウナ像を抽象的に示したことより始まったのではあるまいか。 聖天のシンボルマークは大根の打ち違い紋であり、極端なものは二股大根の打ち違いの組み合わせである。
※中国で大根は「羅葡(莱服)」、らふ→らふく→らいふく→来福とも。
※聖天には、巾着袋と大根の二つをもって祀ってある。 これは、陽陰を意味するとも・双身を意味するともいわれる。
和合宇賀神社・浅草
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