目赤不動尊
☆天台宗大聖山南谷寺
元和年間万行和尚が伊勢国赤目山で、不動明王像を授けられた。 その後、尊像を護持して諸国をめぐり、駒込村の動坂に庵を開き赤目不動と号した。 寛永年間三代将軍家光が鷹狩の途中に動坂の庵に寄り、目黒・目白不動に対し目赤と呼ぶべしと命じ、現在地を与えた。 江戸の五色不動の一。
☆江戸五色不動
寛永年間三代将軍家光が、天海僧正の進言により江戸鎮護と天下泰平を祈願して五箇所の不動尊を選んだ。 目青不動(教学院・世田谷)、目赤不動(南谷寺・文京区)、目黒不動(竜泉寺・目黒区)、目白不動(金乗院・豊島区)、目黄手道(永久寺・台東区、または最勝寺・江戸川区)。
☆目白不動尊・豊島区高田2-12-39
金乗院は天正年間創建、昭和二十年戦災で全焼。 目白不動堂は寛永年間徳川家光により「目白不動明王」として五色不動の一つとなったが、昭和二十年戦災で全焼。 その後昭和四十六年合併再建された。
☆吉祥寺橋・吉祥寺山門通り
吉祥寺は明暦の大火で駒込に移転、振り袖火事の後・お茶の水の住民が移り住んだのが現在の吉祥寺。
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