八坂神社
奥州街道に面した、元は大相模郷の一つの村である見田方の鎮守で、天王社と呼ばれた古くからある神社でもあります。 見田方は大相模の元郷ともいわれ、早くから開けた地と伝えられ、江戸時代は忍藩 支配地で、柿ノ木領八か村といわれました。境内にある大小の建物には、天文二十一年在銘の弥陀三尊図像板碑が納められています。そのほか、境内には文和八年銘の改刻賽神塔などが建てられています。
改刻賽神塔はもと庚申塔でしたが、明治元年神仏分離令の処置担当者として忍藩にかかえられた平田篤胤の門人木村御網が、「庚申塔などと申すな、賽神と昌之よ」と説いて、忍藩内の庚申塔をすべて壊させ、賽神に改刻させたといわれています。 このため見田方村を中心に忍藩柿ノ木領八か村には、改刻賽神塔が数多くみられます。
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