芭蕉記念館
☆深川芭蕉庵跡・常盤1付近
天和元年三十八歳の時、門人鯉屋杉風の持家である深川六間堀の小庵に移り住み、敷地内に芭蕉を植えた。 その後芭蕉庵は火災などで建て替え三回も、芭蕉はここを根拠地として俳句を確立したといわれる。 芭蕉没後は武家地となり・尼崎藩下屋敷・長州藩屋敷・その後民有地、など経たので芭蕉庵の正確な場所は不明。
☆芭蕉翁古池の跡(芭蕉稲荷神社・江東区常盤1)
大正十年十一月東京府史跡指定、震災後小名木川河幅拡張・戦後六間堀川埋立により消滅、その後地元有志により現在の地を選び芭蕉稲荷を健立し芭蕉庵跡とした。
※猿児橋(猿子橋)畔にあったとの説がある。
※万年橋北側紀伊殿屋敷内「芭蕉庵ノ古跡庭中有」
☆芭蕉庵・芭蕉神社
安政年間に紀州下屋敷に芭蕉翁の木像を制作・安置するも、明治時代に米倉一平が芭蕉庵を毀した。
大正六年深川の洪水で石造りの蛙が見つかったため、川崎貞吉が木造を譲り受け・深川共睦会が祠を建て、大正十一年十一月芭蕉神社として祭祀った。
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