不動の滝・正受院
不動の滝は、かつて正受院(現・滝野川2丁目)の裏手、石神井川沿いに落ちていました。 その名称は十六世紀中頃、正受院を開いた僧が川から不動像を拾い上げたという伝承に由来します。 文化・文政期に著された『遊歴雑記』(十方庵敬順著)によれば、この滝に打たれると諸病が治ると評判になり、夏には大勢の男女が集まって大変な賑わいをみせていたそうです。
不動の滝は、泉流の滝とも称され、正受院本堂裏の峽から坂道を下った石神井川の岸にありました。江戸名所図会』は、この地の江戸時代後期の景観を次のように説明しています。
正受院の本堂の後、坂路を廻り下る事、数十歩にして飛泉あり、滔々として硝壁に趨る、此境ハ常に蒼樹蓊欝として白日をさゝえ、青苔露なめらかにして人跡稀(ひとあとまれ)なり、
室町時代、大和国に学仙坊という不動尊の祈祷を修行する僧侶がいた。 ある時、霊夢を見て東国の滝野川の地を訪れ、庵をむすんで正受院を草創した。 この年の秋、石神井川が増水したが、水の引いた川から不動の霊像をすくいあげた。 学仙坊が、これを不動尊修法の感得した証と喜び、滝の傍に安置したと伝えられます。
不動の滝は、滝の傍に不動尊が祀られていたことから付けられた名称ですが、今も、その跡が僅かに偲ばれます。 正受院は赤ん坊の納骨や供養をしていることから「赤ちゃん寺」と呼ばれています。
※左側の小滝は、混雑に対応するために増設したといわれる。
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