明治十七年開園、郊外随一の遊園地として有名でした。 鉄道唱歌にも梅の名所として歌われています。 明治三十五年皇后(後の昭憲皇太后)が行啓され、記念碑が加納久宜子爵邸跡(山王三丁目31-21・大森駅西側隣)に建てられました。 大正二年には園内にあった料理屋が廃業し、大正十一年から大正十三年にかけて区画分譲され、住宅地に変わりました。
※東海道篇4番「梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし 急げや電氣の道すぐに」
○蒲田菖蒲園
八景坂鎧掛松、源義家が奥州平定に立ち寄った際に鎧をかけたと伝えられる。
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