梅屋敷は伊勢屋彦右衛門の別荘で、多くの梅の木が植えてあったのでこう呼ばれるようになりました。 水戸光圀は、その中の一株の梅がまるで龍が地を這うように咲いていたので臥龍梅と命名しました。 江戸時代は、行楽地として有名でしたが、明治四十三年の水害によりすべて枯死し、廃園となりました。
☆亀戸梅屋敷
亀戸天神北東に三千坪の広さがあった。 江戸の始め、本所呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘・清香庵に梅を植えた。 水戸光圀がこの梅園を訪れ「臥龍梅」と名付けたといわれる。 明治四十三年の洪水により廃園となった。
※享保九年二月将軍吉宗かせ放鷹のさい地中に刺した杖が「代継ぎの」梅ともいわれる。
○梅屋敷伏見稲荷神社
江東区亀戸3-51
亀戸梅屋敷(商業施設)
江東区亀戸4-18-8、03-6802-9550
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