太宗寺
☆内藤新宿
徳川家康が内藤駿河守と青山常陸介に褒美として「馬を走らせ・一気に休まず土取りした地を与える」といった。 青山常陸介は三十万坪の地(現青山墓地と神宮外苑)を手に入れ、欲張った内藤駿河守は馬が倒れたため二十万坪(現新宿御苑)に終わった。
☆銅造地蔵菩薩座像(江戸六地蔵)
深川在字地蔵正元が、少年時代に地蔵尊を祈願し病気を平癒したことから、江戸市中を托鉢し喜捨を乞い・江戸府内に六ヶ所に地蔵尊を建立した。
1番 品川寺 真言宗醍醐派 宝永5年 東京都品川区南品川3-5-17
2番 東禅寺 曹洞宗 宝永7年 台東区東浅草2-12-13
3番 太宗寺 浄土宗 正徳2年 新宿区新宿2-9-2
4番 真性寺 真言宗豊山派 正徳4年) 豊島区巣鴨3-21-21
5番 霊巌寺 浄土宗 享保2年 江東区白河1-3-32
6番 永代寺 高野山真言宗 享保5年 廃仏棄釈 (現江東区富岡1-15-1)
正式には、『霞関山本覚院太宗寺』という浄土宗の寺院。僧・太宗が開いた草庵『太宗庵』が前身で、慶長元年頃にさかのぼります。 内藤家五代目の正勝が寛永六年に没し、太宗寺へ埋葬され、以後歴代の墓所になりました。
宿場である内藤新宿の中にあったことから、多数の参詣者があり、門前町も発展しました。 明治以降も新宿の発展とともに境内が整備されましたが、昭和20年の東京大空襲で火災に遭い、大きな被害を受けました。
境内は「新宿ミニ博物館」として、江戸六地蔵のひとつである『銅造地蔵菩薩坐像』のほか、『閻魔像』・『奪衣婆像』・『内藤家墓所』・『切支丹灯籠』。『内藤家墓地出土品』などが見学できます。
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