真福寺貝塚
○真福寺遺跡・真福寺貝塚
さいたま市岩槻区城南3丁目
☆国指定史跡・縄文時代後期から晩期の遺跡
みみずく土偶・猿形土製品・牙製錐・貝輪・遮光器土偶残欠・深鉢形土器・石製勾玉・土器残片・土錘・土製耳飾・土版残缺・縄文土器片(異形台付土器)・鉢形土器、など出土多数(東京国立博物館)。
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縄文時代後期から晩期の遺跡です。 古くから小規模な発掘調査が行われ、台地部分の集落跡や貝塚などからは、多数の土器、石器や土偶、獣魚骨が出土、低地部の泥炭層からはクリ・クルミ・ウリの植物種子なども出土しています。 なお、この遺跡から出土した「みみずく土偶」(東京国立博物館蔵)は、重要文化財に指定されています。
埼玉県東部の岩槻丘陵上に所在する繩文時代後期から晩期に営まれた集落跡である。 遺跡は径約150mの環状貝塚を中心とし、台地西側に入りこんだ綾瀬川の小支谷の沖積低湿地にまでひろがる。大正末年以来の数次の発掘によって、住居跡をはじめ多数の遺物が発見されている。 とくに土偶・土版・土製耳飾・勾玉・石剣などいわゆる珍品が多数あり、ほぼ完形な「みみずく土偶」は重要文化財に指定されている。 また低湿地の泥炭層中から出土したクリ・クルミ・ウリなど種子は、貝層中の動物遺体とともに貴重な資料となっている。
○ミミヅク土偶・東京国立博物館(さいたま市立博物館にレプリカ)
真福寺貝塚出土
縄文時代(後期)・前2000~前1000年
極端にデフォルメされた顔の表現が鳥のみみずくに似ていたことから、「みみずく土偶」と呼ばれる。 耳には丸い耳飾りをつけ、頭部の突起は結った髪型や櫛をさしている状態を表すと考えられている。 土偶の身体表現は縄文時代の風俗をうかがう一材料となっている。
○みみずく土偶
縄文時代後期後半から晩期前半の関東地方でみられるみみずく土偶と呼ばれる土偶である。 顔は刻み目を施した隆帯で輪郭が縁取られ、円板を貼り付けて目と口が表現される。 このユーモラスな顔が鳥のみみずくに似ていることから、その名が付けられた。
本例もその名に違わず、ハート形の顔の輪郭に大きく丸い目と口がかわいらしく表現されている。 頭から突き出たたくさんの突起は櫛や髪型が表現されているともいわれ、また耳に貼り付けた円板は耳飾りが表されたとも考えられている。 大きく立体的に作られた頭と比較して胴部は扁平で、肩から伸びる短い両腕と対照的に両脚は長く作られる。 全身は赤彩がよく残り、胴部には胸と肩からへそへかけて隆帯が貼り付けられ、腰部には鋸歯文を描かれ、脚部には縄文が施文される。
真福寺貝塚
☆縄文土器
外側に縄を巻き・内側に手を入れて押しつけることで土の中の空気を押し出し・ 縄をつけたまま焼いた、ともいわれる。
※縄文時代は定住生活で人口が集中していたらしい。 捕った動物類は頭から尻尾まで全て(骨を砕いて)食べたともいわれる。
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