かぶきせんべい
○株式会社萬寿屋・池上商店
文久年間五代目吉五郎(初代善次郎農業・三代目源次郎大工)の妻「エイ(ゑ)」が三学院前で「水果子渡世(水菓子渡世)」を開店し酒まんじゅうや団子を売り始めた。 その後、養子長八が手づくり「鹽煎餅(現在の醤油煎餅)」を製造し行商販売、藤蔵後、1951年金蔵が北町に「萬寿屋」を設立し「かぶきせんべい」を販売・製造工場を「池上商店」とした。 現在十代目。
※団子の残りを潰すと煎餅の生地になった。
※金蔵は大の歌舞伎好きだったので、煎餅に歌舞伎の絵を焼き入れた。
※水果子渡世、当初は畑で穫れた西瓜や瓜など季節物を売っていたが蕨宿では商売にならず、やがて通年売れる饅頭や団子を売るようになったらしい。
製造工場・池上商店
☆塩煎餅
古くは、砂糖醤油(密糖)を塗った煎餅が「甘辛煎餅」、 醤油だけを塗った煎餅が「鹽煎餅」・しょっぱい(塩辛い)の意。
※関西で煎餅といえば、小麦粉に砂糖や卵を入れて焼いた「甘味煎餅」。
☆天乃屋の歌舞伎揚
せんべいの包装袋に歌舞伎で使用されております定式幕[緞帳](萌葱・柿・黒の三色で構成されている一番代表的な幕)の模様を取入れ、せんべいの一枚一枚にも歌舞伎の家紋をデザインしたものを刻印し『歌舞伎揚』と命名致しました。 現在の歌舞伎揚は、皆様の嗜好の変化に合わせて、ソフトに仕上げるようになり、特徴である家紋のデザインがはっきりと見えにくくなっておりますが、以前は堅めに仕上げていたため、家紋のデザインがはっきりとみえておりました。
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