田中屋本店
○白鶴城印最中(田中屋本店・菓子商田中弁蔵)
嘉永年間、越後の弁蔵(辨蔵)が商人を辞めて菓子屋「やまべん」開業、草団子・醤油団子・汁粉などを販売。
※「やまべん」の山は商人時代の屋号と思われる。
☆森永ベルトライン
1928年森永製菓がチェーン店組織作りを始めた。 25番目が関根菓子舗・26番目が田中菓子商。
※菓子舗関根源蔵(横町)
☆森永ベルトライン
森永太一郎は、半三郎と二人三脚で製菓事業の近代化を目指し、菓子製造を機械化に取り組み、質の高いお菓子を大量生産することに成功しました。 さらに、販売網を組織化し、先駆的な広告・独創的な販売促進キャンペーンを打ちながら事業規模を拡大していきました。 粗悪で非衛生な類似品と区別をするため、明治38年にはエンゼルマークを登録商標し、大正12年に直営小売店「森永キャンデーストアー」を開店、昭和3年には全国に「森永ベルトラインストアー」を誕生させました。 広告・販売企画も積極的に展開し九州から北海道を空から縦断・訪問する飛行機セール(1931・昭和6年)、森永キャラメルの空箱加工による図画工作展「キャラメル芸術」などがあります。
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