素毛脱狗之墓・亀毛俊狗之墓・賢猫之塔
〇伊皿子貝塚遺跡、港区三田4
「文政十三年庚寅素毛脱狗之霊七月二十日 御狆白事」の表示があることから、白色の狆の墓といわれる。
江戸時代、狆は犬とは別の動物(犬と猫の中間)と考えられており、武家奥方や遊女の愛玩用として飼われた。(江戸後期には庶民も飼うようになった)
一方、吸い物や貝焼きなどにして犬肉を食べることもあったらしい。
※狆(倭子犬)には八種類あったらしい。
伊皿子遺跡地は江戸時代に大圓寺境内となったことから、大圓寺を菩提寺とした島津家(薩摩藩三田屋敷)で愛玩されていた犬・猫の墓といわれる。
☆江戸の獣肉食
鹿:汁、かいやき、いりやき、干し肉
狸:汁、でんがく、さんせうみそ
猪:汁、でんがく、くはし
兎:汁、いりやき
獺:かいやき、すひ物
熊:すひ物、でんがく
犬:すひ物、かいやき
※みんなで犬肉を食べる「犬寄り合い」があったらしい。 ただし御法度 。
☆泉谷山大圓寺
慶長八年徳川家康によって赤坂溜池に徳川家の香華院として建立、開山は諦厳桂察。 この縁から飯野藩保科氏の菩提寺となる。 この時に、旗本五井・松平・坂井・本多・土方の諸家を檀徒と定めた。
延宝元年薩摩藩世子・島津綱久が江戸で没した時にその葬儀をこの寺で執り行ったことが縁となり、以後薩摩藩の菩提寺ともなった。 この縁で調所広郷、天璋院付き老女幾島など薩摩藩家臣・縁者の墓もこの寺に築かれていた。
明治維新後の廃仏毀釈及び大檀越であった島津氏の神道改宗に伴い、以後庇護を失い衰微明治四十一年現在地(杉並区和泉3-52-18)に移転。
☆落語「猫定」に出てくる猫塚は、両国回向院(両国2-8-10・03-3634-7776)。
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