慈林薬師
☆宝厳院仁王門・江戸時代
この仁王門は、もとは天平十三年)開創と伝えられる薬師堂の仁王門であったと言われています。 元禄十一年と文政九年の棟札があり、斗栱や虹梁獅子頭・挙鼻の様式などから文政九年の再建と思われます。 江戸時代化政期の手法を残した典型的な八脚門として貴重な建造物です。
☆隠し山・飛び島 (慈林薬師)
慈林薬師堂が燃えた際、薬師さまが逃げ延びた地といわれる。
☆隠し山については下記伝説もある。
古く火事で建物が焼け・寺が衰微し、ただ一つ残った寺宝の「金の厨子」を藪に埋めた。 そしては、誰も近づかないようにと「藪に入って出てきた者はいない」と恐話を広めた。 「金の厨子」は見つかっていない。
☆龍灯の池
その昔聖武天皇の光明皇后が目を患った折、天皇の夢枕に現れた高僧のお告げにより、武蔵の地にある霊池に薬師如来を祀った。 その際、頭に燈明をかざした龍が舞い降りたといわれる。
また、この池に棲む鯉などは片目であったともいわれる。
☆慈林の金打塚・かねつ塚
入定塚があったといわれる。
☆かわらけ地蔵・安行慈林
耳の地蔵、供えてあるかわらけを借り・真ん中に空いた小さな穴に息を吹きかけると耳病が治るといわれた。
コメント