苦林野古戦場 メモ
☆苦林野合戦
鎌倉街道沿いの苦林野を舞台に、貞治二年大規模な合戦が起きました。 十四世紀後半頃の軍記物語「太平記」に描かれた苦林野合戦です。
室町幕府を開いた足利尊氏の子・足利基氏は、鎌倉府長官の鎌倉公方となり、補佐役である関東管領に上杉憲顕を起用しました。 また、下野の武将宇都宮氏綱から越後守護職を剥奪し、憲顕に与えました。
宇都宮氏綱の重臣芳賀禅可は処遇に腹を立て、憲顕が鎌倉へ出仕するのを見計らって襲撃しようとしました。 この動きをきっかけに、足利基氏は総勢三千人余りの軍勢を率いて鎌倉街道を進み、一方芳賀禅可は、嫡子高貞と次男高家に八百騎を与えて戦いに向かわせました。
基氏軍と芳賀軍は、苦林野付近を舞台に激しい戦いを繰り広げました。足利基氏側が戦に勝利し、芳賀軍は宇都宮へ敗退しました。
☆合戦と苦林古墳
合戦の舞台となった苦林野一帯には、古墳時代の古墳が数多く残されています。 江戸時代の地誌新編武蔵風土記稿の「苦林野図」には、前方後円墳のほか多数の古墳が描かれています。
その中の一基である苦林古墳(大類1号墳)の上に、苦林野合戦供養塔があります。 前面に千手観音像、背面に貞治四年六月十七日にこの地で、足利基氏、芳賀禅可両軍の戦があったことが刻まれています。
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