郷土玩具:親子狸
☆柳森神社
長禄二年太田道灌が江戸城の鬼門除として現在の佐久間町一帯に植樹した柳の森に鎮守として祭られたのがはじまりとされ、万治二年に神田川堀割の際に現在地に移りました。 柳の樹も堀の土手に移植され、江戸の名所になりました。 境内の福寿社は「お狸さん」とよばれ、五代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に創建したといわれています。 境内の十三個の力石群が千代田区の有形民俗文化財に指定されています。
(大正時代)
〇酒買いタヌキ
1935年、信楽・藤原鉄造(狸庵)が作ったといわれる。 徳利は「徳を利する」・大福帳は信用・前金は「現金払い」・狸は「他抜き」、などに通じる。
☆古くは、狸のなめし皮に金箔を挟んで延ばしたともいわれる。(現在は鹿皮)
☆江戸時代後期より、太鼓腹の狸が描かれるようになった。
☆上戸と下戸
秦始皇帝時代に、山門の上戸を守る番兵に体を温めるよう酒を、下戸の番兵には甘いものを配ったといわれる。 平安時代の農家、出入口が多いほど上戸(上流)とされ・宴席で出される酒の量が多かった、との説もある。
☆「前金で縁起が良い」と瀬戸物屋の丁稚となった馬太郎、「金馬」とよばれ店が大繁盛した。 それから、瀬戸物屋の店先に狸の置物を置くようになった。(民話ふう岩手艶笑譚)
☆左利き
江戸時代、鉱夫が左手にノミ・右手に槌を持ったことから、「飲み手→酒飲み」。
☆狸憑
タヌキが憑くと何になる、大酒飲みになる。
☆漏斗
上戸が酒を飲むかのように、容器に液体が入っていった。
☆左党
江戸時代鉱山で働く人、右手に金槌・左手に鑿、なので右手が「槌手」・左手が「鑿手」。
☆無礼講
後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の密議を開いたさい、下着姿で・美女をはべらし・大騒ぎして、気づかれないようにした。
☆几帳面
古くは建築用語、柱などの角張った部分を削り・両側に刻み目を入れた。 几帳の柱に用いられた。
○狸の夜見世、歌川国芳・天保十四年(1843年)~弘化元年(1844年)頃。
○たんたんたぬきの
源曲は讃美歌の一つであるShall We Gather at the River →タバコやの娘→たんたんたぬき、と転訛したらしい。
Shall we gather at the river
Where bright angel feet have trod
With its crystal tide forever
Flowing by the throne of God
いつの日か集わん
輝く御使い 水晶の波
神の御許の流れのそばで
神の御許の流れのそばで
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