近江兄弟社
○メンターム(メンソレータム)
アメリカ合衆国の「メンソレータム社」創始者アルバート・アレキサンダー・ハイドとヴォーリズの出会いが縁で日本での販売権が与えられた。 メンソレータムの販売はヴォーリズの各事業を資金面で大きく支え、自給自足での事業運営と「事業を通じて神の証をする」という近江兄弟社の理念実現を後押しした。
当時、メンソレータムを世に広めたきっかけとして、佐藤安太郎の働きがあった。 佐藤安太郎は、東京九段で文部省御用商人を主業とする老舗の佐藤商店を手広く経営していたが、吉田との出会いを契機に商店の経営を後身に譲り渡して近江兄弟社に入社、同時にメンソレータムの販売を任された。 最初の頃は佐藤だけで伝票も小包も発送も受け持つ程度であったが、何とかして一包でも多く消費者に届けたいと思い立ち、1オンス瓶入りのメンソレータムと伝道誌「湖畔の声」を携えて、大阪や京都の薬問屋を訪問しては取次ぎを頼んで回った。
また、佐藤は日本全国の基督教会へ呼びかける案を立て、事実その通りに全国の教会、婦人部を訊ねて、ハイド氏とメンソレータム、ヴォーリズと吉田らの志、近江ミッションの設立からメンソレータムの売上金の幾らかを伝道のために献金することを説いて回った。このようにして、全国の教会の婦人たちの手により、教会の資金を生み出すため熱心にメンソレータムの取次ぎが行われ、同時に薬問屋でも広く取次ぎが拡大し、メンソレータムの名が全国的に広く知られるようになった。
しかし、創業者ヴォーリズの亡きあと、原材料費の高騰に加えて競合品との市場競争が熾烈を極めた。 また不動産部門の採算悪化と1973年の第一次オイルショックの影響もあって経営が苦しくなり・自主再建を断念、1974年12月24日に会社更生法を申請。 これにより、メンソレータムの販売権を失うこととなった。 その後、翌年の1975年4月22日にメンソレータムの販売権はロート製薬が取得、さらに1988年にはメンソレータム社本体もロート製薬に買収された。
近江兄弟社は大鵬薬品工業の協力を得て再興を模索したが、メンソレータム社からの「生産継続の交渉をする意思はない」という返答を受けてメンソレータムの継続生産が出来ず、一度は再建の道が閉ざされかけることとなった。 このため、メンソレータムの製造設備を利用したオリジナルの類似製品を販売することとして、メンソレータムの略称として従前より商標登録してあった「メンターム」を商品名として用いた。 1975年9月12日より、新たに主力商品として「メンターム」の製造を始め、自主再建の足がかりをつかんだ。
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