徳川方軍艦回天丸
明治二年五月十一日箱館港の激戦に沖之口役所に来場浮砲台として戦の後焼棄して久しく残骸を存す。
明治二年箱館戦争の末期港内沖に座礁し浮砲台として奮戦せしも力尽きて乗り棄て官兵の為に焼毀せられしもの水上に浮べる部分は同艦の下甲板なり或片の一部は今の葛西倉庫付近の海中に沈没した。
☆回天
明治二年五月七日敵艦の砲弾を船後部に浴びて運航不能となったため、大町運上所前の洲頭に乗り上げ・大砲十三門を片舷に移し・浮き砲台となった。
※第二回天は元高尾丸
開陽
☆開陽
明治一年十一月十五日、姥神海岸で岩床溝に嵌まり込み動けなくなった。
明治一年十一月二十六日、冬の荒波に叩かれてバラバラとなったため、サルベージ作業をあきらめ・船体は放棄された。
甲鉄
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