摩周丸
この大きさでも、海が荒れると、船体がミシミシ 音を立てた。(内装に木材が使われていたのかもしれない)
2等椅子席(指定席)、現在のグリーン。
この当時の接続列車は蒸気機関車だったので、連絡船内の風呂(今思えば、船員用風呂だろう)を使わせてもらう乗客も結構いた。
3等座席。 この当時の3等席は、車両甲板の下(積み込んだ貨車の下)にあり、殆どが水面(喫水面)下であった。 そのため、洞爺丸沈没(1954年)以降は、[列車は3等・連絡船は2等 という利用客が増えた] と聞いている。(「船底から逃げらなかった」と言う噂があるが、定かではない)
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