親子丼
☆親子丼
明治二十四年、人形町鶏鍋屋「玉ひで」にはじまった。
※当初は出前のみであり、店ではださなかったらしい。(高級店のプライド)
※鶏肉をカシワとよぶのは、美味しいといわれた黄鶏の羽が茶褐色でカシワの葉に似ていたから。
※明治三十六年の内国勧業博覧会場食堂で出されたのを機に広まったといわれる。
☆親子丼
宝暦十年、鷹匠・山田鉄右衛門が新和泉町に軍鶏専門店・玉鉄(後の玉ひで)創業。 嘉永年間幕府御鷹匠廃止により、四代目がシャモ鍋店営業。 明治になると、鳥すき焼きに卵を入れて飯にかける客続出するも、不作法につき禁止。 明治中期には武家習慣も無くなり、五代目秀吉の妻・山田とくがシャモ肉の親子丼創作、1979年頃には七代目山田耕路が元祖親子丼を売り出した。
☆坊主しゃも(現ぼうず志ゃも・墨田区両国1-9-7)
江戸末期、信州生平山弥五郎が回向院前にしゃも料理店・丸屋を開いた。
☆かしわ・浅草仲見世金田
明治初年、初代権之助が隠居の暇をもてあまして「かしわ料理店・金田」を開いた。
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