モウニヤア車
○モウニヤア車
沼田・渋川間(約3時間)の電気軌道・電気機関車を見て、若山牧水が「いざり車の如く車体が低く線路を這うよう」なので「モウニヤア車」と呼んだ。
※写真は足尾銅山より転載
※利根軌道株式会社が1918年1月27日、馬車鉄道から電気機関車(足尾鉱山で鉱石運搬用に使われたいた中古機関車)に変更した。
○若山牧水:利根の奥へ
登りと違って下りの電車は賓に心地より走った。霜を帯びた林を畑も野原もみな朝日に滞れ輝き、近く仰ぐ榛名も、遠く見る赤城もひとしくこの爽かな秋晴の光の下にうち煙って居る、鮭川で沼田行に乗換ふべく待ってゐると、其鹿に異様なる乗物が動いて来た。見たところは汽車に近いが煙を吐かない。名は電車だが、汽車の機関車風のものが鼻先きにくつ着いてそれが三つばかりの車茎を引いて走るのである。而して人間の乗るその車茎はゐざり車の如く低くして直ちに線路に附著してゐる。私はこれをモウニヤア車と命名した。モウニヤアとは友人△△が愛娘田母子ちやんが三歳の時の造語である。形怪しく恐畏すべきものを見るごとに彼女は直ちにこれをモウニヤアと叫んだ。
コメント