○群馬鉄山
昔から吾妻川は赤い水が流れ、河原の小石も赤く染まっていた。 1940年頃、小倉部落人により発見されたが、交通不便なため開発には至らなかった。 1944年、日本鋼管が採掘を開始、鉱石運搬用の鉄道が施設された。 その後、1945年送鉱開始も終戦で休山、第二次大戦で鉱石が使われることはなかった。 が、1949年鋼管鉱業が生産再開し、釜石鉱山に次ぐ鉄鉱山となった。 そして、硫黄分を除くべく太子焼結工場が建設された。(1951年) その後は、公害・煙害・砒素含有など問題を起こして工場閉鎖となり、ついには終山となった。
※1945年1月2日、日本鋼管群馬鉄山専用線として長野原駅(現長野原草津口駅)~太子駅間が開業、長野原駅から先は渋川駅まで長野原線として開業した。 その後旅客営業となったが、1971年5月1日、長野原線を吾妻線と改め大前駅まで開業にともない廃線となった。
太子駅(1958年)
コメント