○中原村道祖神・中原部落から落合部落へ引っ越したとされる。(1760年作)
1760年暮れも押し迫った十二月下旬、一人の石工が中原村一里塚にさしかかった。 まわりを見ると、人影もなく貧しそうな部落であり、村には貧乏神と病魔が住み着き、村中病魔に犯されていた。 村には道祖神が無かったのである。
そこで石工は、正月に間に合うようにと、村はずれに小屋掛けし七日間一心不乱に心魂込めて刻み続けた。
十二月三十一日、ついに道祖神が完成した。 村人たちは小躍りして喜んだ、そして唖然とした。 こうして中原村は元気になった。
☆この道祖神には、他の伝説もある。
宝暦年間、倉淵村中原の地主甚兵衛の息子大助が嫁をもらったが、生真面目(クソッカテエ)すぎて、来る嫁くる嫁とも長くは続かなかった。 そして七人目に遠く離れた碓氷から「おせん」が嫁いできた。 おせんの並々ならぬ努力の結果、幸せの一家となった。 ところが、「おせん」こそ甚兵衛が里子にだした大助の実妹であった。 悲しみに暮れた大助が建てたのがこの双体道祖神といわれている。
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