○湯畑
○草津温泉
111年(景行天皇四十年)、日本武尊が東夷征伐の折、発見したとされる。 源頼朝が巻狩の帰り、地元住人細野御殿之助の案内で硫黄温泉を見つけ入浴したので「御座の湯」と名付け後に「白旗の湯」ともよんだ。 そのとき座ったのが「御座の石」であり、細野氏を「湯本」と名乗らせた。
○西の河原露天風呂
※傷ついた鷲が湯に足を浸して治したことから「鷲の湯」とよばれるようになった。
※脚気を煩った弘法大師が病を治したので「脚気の湯」とよぱれた。(今は無い)
※地蔵を祀ったお堂のそばに湧き出たので「地蔵の湯」とよばれたた。
※嬬恋村三原湯窪の温泉に屍馬を投げ込んだ者がいたため、薬師様が怒り草の葉に湯を包んで草津に移し草津温泉となった。(くさつつみ→くさつみ→くさつ、の説もある)
○幕湯(草津温泉ほか)
古く温泉は村の共有であり共同風呂だったが、温泉宿が客を優遇させようと共同風呂を幕で仕切り有料とした。 その後、板で仕切るようになり、やがて各宿へ引き湯をする内湯となった。
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