○渡良瀬川の石合戦
小石を投げ合う石合戦を印字(石撃・因陣・印地)と呼び、多くは河原で行うので「河原印字(印地)」と言います。 はじめは子供の遊びでしたが、だんだん儀式化し一月十五日と五月五日には印字(印地)が行われるようになりました。
これで収まらないのがグンマです。 だんだん大人が加わり、ついには渡良瀬川をはさんで敵国トチギとの石合戦となりました。 特に桐生団・太田団が激しく、当然ながら多くの負傷者が出たので禁止になりました。
○石合戦の由来
太田市只上の八幡神社神と鹿島神社神は仲が悪く、ケンカをしない年は伝染病が流行るといわれていた。 そこでみんなが考えた。 そしては神々に代わり只上民と鹿島民が、五月五日には只上部落対鹿島部落で石合戦をすることにし、1940年頃まで続いたとされる。
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