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榛名伝説

Haruna91○榛名湖女人入水
 榛名湖に入水した木部姫については伝説上、その正体は木部宮内輔弾正室・同室竜田の前・同実一室・貞朝室・木部駿河守範虎・長野業政室などいろいろ、その時期は箕輪落城の1563年・神流川合戦の1582年・山名対木部の1585年などいろいろ。 人身御供との見方もある。

○木部井戸(木部の神井・長年寺)は榛名湖に通じている、ともいわれた。

○右京のむだ堀(右京の馬鹿堀・泣き穴)
 宝永六年左京太夫輝貞が、溜堤から取水・榛名北を通り・スルス岩の下にトンネルを堀り・白川へ水を流そうと用水工事を始めたが、技術不足・酸素不足・ガス噴出・落盤・流言飛語・死傷者続出、とにもかくにも工事が進まず・中止になった。

○鷹留城(下室田)
 西軍武田勝頼が鷹留城攻めに手こずり、五日間の濃霧に悩まされたので、地名「五日平」となった。 
※1566年落城、城主長野氏の祟り多数。

○明治初年多胡郡と緑野郡が合併。 大和朝廷から謀反の企てありと征伐勢を送られ、「多胡羊太夫」は激戦後主従三騎大蝶に化け多胡山頂へと飛び立った。 多胡城落城後の隠れ家として仮尾二軒を建てたのが、地名「二ツ家」。 三羽の鳶になったとの説もあり、地名「一ノ鳶」・「二ノ鳶」・「三ノ鳶」ができたとも。

○榛名山
 榛名神社と伊香保神社を同時にスタートし、早く榛名富士山頂にゴールした方の領地とすることになった。 激戦の結果、榛名神社代表が勝ち、伊香保神社代表は全力・全気力を出し切り帰路途中で息途絶えた、その地が「ヤセオネ峠」。

○榛名神社
 古墳時代には榛名山麓にあったのが、天台・真言の密教徒により現榛名神社の岩場へ祀りこまれたといわれる。

○榛名湖
 榛名湖にはジュン菜(ヌナワ)の精がいたが、大鯉に食べられてしまった。 それ以来榛名湖からジュンサイが消えた。
※榛名湖は神の御手洗沼として長年、禁漁・禁猟であったので、伝説多数。

○袂石(たもと石・お手玉石)
 姫神(滝泉大明神)が小石をなんごにして袂に入れておいたら、だんだん大きくなったのが「袂石」。
※直径約6m・高さ約2m。 石が大きくなる伝説は他にも多数ある、「さざれ石の岩ほどなりて…」が代表例。 古代は「石は成長する」と信じられていた。

○榛名の神は獣肉・魚肉・鶏肉を忌み嫌った。 これらを食べて参拝すると「お山荒れ」となる。

○行基が一夜の宿のお礼に彫った十一面観音が「白岩観音堂長谷寺」の起源。

○下室田の「鳥頭橋」、この地「鳥頭(うとう)」の峠にあったのが「じゃんぽん松」、鋸で伐ろうとしたら血が吹き出した。
※「じゃんぼん(じゃんぽん)」は葬式に鳴らす鐘の音を表現したもの、グンマでは葬式の意。
※「うとう」はアイヌ語で突起状の意、グンマにはアイヌ語を起源とする地名が多い。

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