○勾当内侍と花見塚(つつじが岡公園)
延元年代、新田義貞が中納言藤原行房卿の妹・勾当内侍に一目惚れし妻に賜った。 藤島の戦いで、義貞が足利高経に討たれたと聞いた内侍は嘆き悲しみ、都にさらされた義貞の首級を盗み上野国へ逃げ剃髪し儀源比丘尼と称し余生を送った。 上野国では、台之郷・武蔵島・江田・高林・別所、など移り住んだとされる。
武蔵島に住んでいた時は、ツツジの花を好み・柊を植え楽しんだので「花見塚・柊塚」とよばれた。 館林城主榊原中次が、この内侍遺愛のツツジを館林城沼の畔に移植したのが「つつじ岡公園」の始めといわれる。
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