義経伝説
◇牛伏
源義経が従えていた牛が病気になり休ませたので「牛伏」と呼ぶようになった。 また、この地一面の野原にはシドメが咲きトゲがあって座ることもできなかった。 しかし翌年になると、牛伏のシドメにはトゲが消えたとされる。
◇五目牛
牛の病気が治り出発した一行は、粕川の洪水で牛が流され、牛の荷鞍だけが浮かび上がったので「鞍が淵」となづけた。 また、川岸に牛の形をした石を見つけ、流された牛に似ていたのでこの地を「五目牛」とよんだ。流された牛には五つの目(黒模様)があったとされる。
※荷鞍石・ツヅラ石・牛石、などもあった。
◇白鞍淵
源義経が濁流の粕川を渡れないでいると、案内の知貝坊が義経の馬を借りて川に入った。 しかし馬もろとも流され、白い鞍だけが岸に流れ着いたので「白鞍淵」、岸にはい上がった馬も力つきたので「駒が塔(馬殿塔)」を建て、知貝が流れ着いた地を「知貝坊塚」となづけた。
※駒が塔は、1643年上植木・正観寺に移された。 義経が馬をつないで休ませた松が「義経駒つなぎの松」である。
◇酒盛地蔵
源義経一行奥州に下るさい、勝利を祈って酒盛りをしたと伝えられる。 また、ヌルデの木で彫られた勝軍地蔵があったとも言われている。
◇掛矢清水
義経一行が堤原を通りかかったさい、飲み水に困り弁慶の掛矢で大地を打ち砕くと清水が湧いたとされる。
※掛矢は、弁慶の七つ道具の一つ。
◇泣かぬカナカナ
義経一行が今宮を通りかかったさい、カナカナ蝉の鳴き声が寂しく・悲しく聞こえたので追い払った。 それ以来、今宮のカナカナは鳴かなくなった。
◇茶呉山
1187年、義経が奥州へ逃れるさい、お茶をだしてふるまった寺を「茶呉山相応寺」と呼んだ。(後の1693年に金城山常楽院養寿寺)
◇九日夜
義経一行か東村国定にたどり着いたのが十月九日、そこで国定村人は餅をついてもてなした。
※九日夜については、赤堀・伊勢崎・藪塚本町、にも言い伝えがある。
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