グンマの昔:坂本宿
○坂本宿(古代は佐加茂戸)
古くからの交通の要所であり、700年ころには開通されていたとされる。 その後1630年ころ、中山道の宿駅として別の場所に新たな坂本宿が設けられた。(集落の無い碓氷川沿いの台地を町割りしたとされる)
※古代は仲仙道とよんでいたが、1716年以降は中山道と書くようになった。
東山道は和銅年間~宝亀五年までは碓氷廻りだったが、1603年中仙道の建設が始まった。 碓氷峠を越えるには下記街道があった。
○吾妻街道(上代東山道):萩生峠越え、日本武尊命が通ったといわれる。 600年頃の榛名山噴火で通行不可となり、和泉峠越えとなった。
○矢ヶ崎峠越え:奈良時代に廃道。
○入山峠越え
○碓氷峠越え:蝦夷征伐用に造られたとされる。
※他にも、余地峠越え・内山峠越え・十国峠越え・志賀坂峠越え・大門峠越え・小柴道・姫街道・入山道、などあったらしい。
○皇女和宮
1861年11月9日、和宮親子内親王の嫁入り行列は、京都より一万人+江戸からの迎え一万五千人+人足四千人=約三万人の大行列であった。 坂本宿だけでは泊まりきれず、準備・後片づけにも数年かかり大変だったそうだ。
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