○上野国戦乱
上野の武士は、戦国大名ま侵攻に接近と離反を繰り返した。 戦乱が続き武士達は年貢増徴を図り、農民達はこれを拒否・対捍し厩橋・倉賀野など町場へと逃げ出した。
1584年、北条氏直が厩城を攻め落とし、やがて北毛以外はほぼ北条氏傘下となり、「国法」・「伝馬制」を敷いた。(上杉氏や武田氏より進んだ上野支配だったといわれる)
1578年上杉謙信が死去すると、利根郡の沼田城には武田勢・北条勢が進出し、豊臣秀吉も干渉する事態となった。
大胡城
○グンマには大きな大名がいなかった。 大部分は、小大名・幕府の 天領・旗本領であり、殿様がいないので家臣団の武士階級も無く・主従関係の意識薄く・士農工商の階層も緩く、絶えないお互いの争い・頻繁な国替えから、団結心・連帯感が無くなった。
※上州人には、「天下を取る」という意気込みは無かった。
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