青函連絡船メモ
亜庭丸(貨客船):元・稚泊連絡船。 1945年7月転属就航、1945年8月10日、空襲沈没。
壱岐丸(貨客船):元関釜・稚泊連絡船。 1922-1924年青函航路就航。 1932年大阪商船に売却(樺太丸)。 1945-47年青函航路復帰。
壱岐丸(第2代目)(貨物船):元関釜連絡船。 1945-1948年青函航路就航。 国家賠償として1950年に朝鮮郵船へ譲渡。
空知丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1976年4月就航。 空知丸以降に建造された3隻は、渡島丸とは各部の仕様が異なる。 1988年3月12日終航。 売却後1991年に石狩丸(3代目)と同じギリシャの海運会社「ポセイドンライン」に転売された。 そこで客室新設改造をされ、地中海航路で活躍したが、その後航路休止にともない2004年以降係船され、韓国の会社へ転売、さらに2006年に係船のまま転売されパナマ船籍となる。 2011年、トルコの会社に売却された。 2012年1月初旬にイスタンブール近郊のドックに移動。 その後、2012年7月に解体された
空知丸(貨車航送船):1955年9月就航、1976年2月終航。 洞爺丸台風で失った船の代船。
景福丸(客船):元・関釜連絡船。 1945-1948年青函航路就航。 1950-1956年函館桟橋脇で海上ホテルとして営業(運営は鉄道弘済会)。 1958年10月解体。
桜島丸(艀曳船):1920年就航。 1927年終航。
車運丸:艀型(無動力)貨車航送船。 1914年12月就航、1927年6月終航。
宗谷丸(貨客船):元・稚泊連絡船。 1945年10月-1950年10月、1954年10月-1954年12月青函航路就航。
十勝丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1970年7月就航、1984年1月終航。 1987年売却、台湾にて解体。
十勝丸(貨車航送船):1948年4月就航、1954年9月26日、台風沈没。 1956年浮揚復航、1970年3月終航。 青函航路に最後まで残ったタービン船だった。
十和田丸(2代目):1966年11月1日就航。 1988年3月13日上り20便として運航終了(青森到着後、夜半に函館に回航)。 同年の復活運航でも使用された。 「津軽丸」型では最も新しく、1981年に、横揺れを軽減するフィンスタビライザーが装着された。 羊蹄丸などとともに、周遊船として夏期などを中心に航路外運航にも活躍していた。 売却後、1990年3月にクルーズ客船「ジャパニーズドリーム」となり、6月には函館及び青森に寄港し、里帰りを果たした。 その後、フィリピンのマクタン島にホテルシップとして係船されていたが、2008年にバングラデシュで解体された。
十和田丸(車載客船→貨車航送船)・新三菱重工業神戸:1957年10月就航、1966年10月終航。 洞爺丸の代船として活躍後、貨車航送船に改造。 石狩丸(2代目)として1967年5月就航、1977年3月終航。
昌慶丸(客船):元・関釜連絡船。 1947-1948年青函航路就航。 洞爺丸事故後、乗組員訓練船として函館港に繋留。
松前丸(2代目):1964年12月1日就航。 津軽丸と本船は他船と甲板補機などの機器の違いが多かったことが早期に廃船となった理由とされる。 1982年11月12日下り21便で運航終了。 1983年に落札され、翌年北朝鮮に転売。 数年間元山港に係留されていたが解体された。
松前丸:1924年11月就航、1945年7月14日、空襲炎上座礁。
新羅丸(貨物船):元・関釜連絡船1942-1945年就航、1945年5月、触雷沈没
石狩丸(3代目)(貨車航送船→車載客船)(貨車55両):1977年5月就航、1982年に「檜山丸」とともに客貨船に改造され同年3月31日から就航。 「石狩丸」「檜山丸」はグリーン船室・寝台・食堂がなく、運用が甲便に限定されていた。 香港、キプロスを経てギリシャへ転売され、空知丸と同じ地中海航路で活躍した。 その後も2005年まで現役で活躍したが、2006年にインドで解体された。
石狩丸(車載客船→貨車航送船):1946年7月就航。 デッキハウスを設置して竣工したが、1958年7月に撤去。 1965年9月終航。
大雪丸(2代目):1965年5月16日就航、1988年1月6日検査期限により航路廃止よりやや早く終航した(下り171便函館着6時25分)。 札幌五輪の聖火輸送船。 売却後長崎港でホテルシップ「VICTORIA」として使用されたが、2005年12月20日営業終了。 2008年5月2日中国の船舶会社が買収し、福建省に回航。 中国へ行った後は詳細不詳。
大雪丸:1948年11月就航、1964年8月終航。 1964年に三洋商事を通じてギリシャに売却されカーフェリーに改造、1991年12月6日アドリア海で沈没。
第一快運丸(経理局保有の石炭輸送船):1919年4月就航。 1925年9月係船。
第一青函丸(貨車航送船第一船):1926年12月就航、1945年7月15日、空襲沈没。
第九青函丸(貨車航送船):1945年2月15日竣工、2月27日函館へ回航中勝浦沖で米潜水艦を警戒して座礁、沈没。 一度も営業就航することなく沈没した。
第五青函丸(貨車航送船):1943年12月竣工、1945年3月6日、強風により接岸に失敗して沈没。
第三青函丸(貨車航送船):1939年11月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
第四青函丸(貨車航送船):1943年3月就航、W型戦時標準船の原型、1945年7月14日、空襲沈没。
第七青函丸(貨車航送船→車載客船):1944年7月就航、1947年9月にデッキハウスを造設し車載客船となる。 1964年12月終航。
第十一青函丸(貨車航送船→車載客船):1945年10月就航、1946年9月に客室造設。 1954年9月26日、台風沈没。
第十青函丸(貨車航送船):1945年6月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
第十二青函丸(車載客船→貨車航送船):1946年5月就航。 建造中にデッキハウスを造設したが、1957年6月に撤去。 1965年7月終航。
第二快運丸(経理局保有の石炭輸送船):1919年4月就航。 1925年9月係船。
第二青函丸(貨車航送船):1930年9月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
第八青函丸(貨車航送船→車載客船):1944年11月就航、1946年4月にデッキハウスを造設し車載客船となる。 1964年11月終航。
第六青函丸(貨車航送船→車載客船):1944年3月竣工、1945年7月14日、空襲沈没。 浮揚復航後1964年5月終航。
津軽丸(2代目)・浦賀:1964年5月10日就航。 青函航路初の自動化第1船。 客船ながら、これまでの貨車航送船よりも多い48両の貨車を積載する大型船。 運航時間も在来船の4時間30分から3時間50分に短縮され「海の新幹線」といわれた。 以後建造された客貨船はすべて津軽丸型。 1982年3月4日下り5便で運航終了。 1983年3月に北朝鮮に売却。 その後再び転売されメッカ巡礼船となったが、エジプト政府に差し押さえられた。 1998年に係留中に火災が発生し、同年12月14日にスエズで解体された。 函館桟橋跡地に津軽丸の錨があるが、売却の際に取り外された本物であるという説と、各船の予備錨のひとつであるという説がある。
津軽丸:1924年10月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
田村丸(貨客船):1908年4月就航、1924年12月終航。 一時復航後、1929年大阪商船に売却。
渡島丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1969年10月就航、1978年10月終航。 1984年函館どっくで解体。 在籍したうちの6年半は使用されずに係船されていた。 なお解体直前に摩周丸火災事故の現場検証で船橋部分の燃焼実験が行われた。
渡島丸(貨車航送船):1948年7月就航、1965年8月終航。 1950年10月洞爺丸と同時に日本の商船初のレーダーを取り付け。
洞爺丸:1947年11月就航、1954年9月26日、台風沈没。
徳寿丸(客船):元・関釜連絡船。 1954-1957年、洞爺丸の代船として旅客便に限定就航。 青函航路撤退後下関に係留。 1961年解体。
日高丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1970年4月就航、1984年1月終航。 1987年売却され、後に韓国で解体。 1980年10月から1982年3月まで係船。
日高丸(貨車航送船):1948年10月就航、1954年9月26日、台風沈没。 1956年浮揚復航、1969年9月終航。
白神丸(木造貨物船):1918年6月就航。 1925年9月係船。
八甲田丸:1964年8月12日就航、1988年3月13日下り7便、青森側最終便として運航終了。 現在、青森駅北側の旧桟橋に係留され、「メモリアルシップ八甲田丸」として見学可能。 自力航行は不可能な「係留船」である。
比羅夫丸(貨客船):1908年3月就航、1924年10月終航。 大阪商船に賃貸後、1929年大阪商船に売却。
飛鸞丸:1924年12月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
北見丸(貨車航送船):1948年2月就航、1954年9月26日、台風沈没。
摩周丸(2代目):1965年6月30日就航、1988年3月13日下り5便として運航終了。 現在、函館駅近くの「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として見学可。 八甲田丸と同様、係留船である。
摩周丸:1948年8月就航、1964年10月終航。
羊蹄丸(2代目):1965年8月就航、1988年3月13日上り22便、函館側最終便として運航終了(青森到着後、夜半に函館に回航)。 同年の暫定運航でも使用された。 終航後は日本海事科学振興財団が取得。 1992年にジェノヴァ国際博覧会日本館パビリオンとして使用後、1996年3月から2011年9月まで東京港に係留されて船の科学館別館「フローティングパビリオン羊蹄丸」として展示公開された。 2012年3月に新居浜東港へ回航、一般公開後、解体。
羊蹄丸:1948年5月就航、1965年6月終航。
竜飛丸(木造貨物船):1918年10月就航。 1926年4月係船。
檜山丸(2代目)(貨車航送船→車載客船)(貨車55両):1976年8月就航、1982年に「津軽丸」型で、老朽化が進み、かつ他船との仕様の差異が大きかった「津軽丸」と「松前丸」2隻を廃船とし、その代替として石狩丸とともに客貨船に改造。 1988年3月13日終航。 売却後改造工事を経て1989年から少年の船協会21世紀号となり、青少年研修船として短期間使用されたが、その後シンガポールを経てインドネシアへ転売された。 フェリーとして運航されていたが、2009年5月31日、出火炎上し沈没した。
檜山丸(貨車航送船):1955年9月就航、1976年7月終航。 1954年の洞爺丸台風で失った船の代船として建造された第1船。 青函航路初のディーゼル機関。 以後建造船はすべてディーゼル機関。
翔鳳丸:1924年5月就航、1945年7月14日、空襲沈没。 青函航路初の車両渡船。
蛟龍丸(貨物船):1916年傭船。 1918年解傭。
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