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藤岡伝説

Fujioka99

○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

○神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでいて、お椀を貸してくれた。(貸椀伝説) 
※ここにはイタズラ狸一族も住んでいたといわれる。

○稲荷山を所有する者は貧乏になるといわれた。

○高山下組の「たぬき岩」、拝むと病気にならない。

○猿が寺から経文を持ち出し・松の木に登って読んでいたのが「三境(さるがきょう)」。

○高山・御霊神社は鎌倉権五郎祀った。 権五郎は弓矢に当たって目を傷つけたので、この地の人は片方の目が小さくなった。 
※神社の主は白蛇ともいわれた。

○大昔、天照皇大神様が道ばたに唾をはいたのが「椿森神社」。 (かなりムリがある)

○木曽義仲の妻葵御前が乗っていた牛が疱瘡で倒れたの地が「はしか除の神様」。 背負っていた石の橋をくぐると麻疹にならない。 (はしかくぐりの事、橋下が源だがかなりムリがある)

○追手に追われ、葵御前の乗った牛が転んで死んだのが「牛おね坂」。 葵御前は切られたので、この地では「きりぼし大根」禁止。

○川除にあったのが「お伊勢の森」、明治四十三年の大水で流された。

○本郷出身の幕内力士が「士師五郎」、一度も負けなかったといわれる。

○後神田の「ギョウヤ堂」、本尊様は女神といわれる。

○エンマ大王を祀ったのが「十王堂」、風邪をひいたときは「こうせんばあさん」にこうせんを供える。

○比丘尼が笙・水・鐘・竹筒を持って入定したのが「虚空蔵堂」。

○「尺地様」は蛇神様、ネズミが繭をかじらないようにと石三個を借りてきた、お願生果しは卵三個。

○歯痛のときは「お杓子様」、お願生果しは楊枝・歯ブラシ。

○関孝和が生まれたところが関屋敷。 
※実際は藤岡市神田。

○児玉郡神川村(丹荘村)はグンマの領土(緑野郡肥土)だった。

○昔、鶴が舞った地が「鶴巻」。

○浄法寺には「朝日さす 夕日輝く 日の本に 七かめ 八かめ 八万円」と伝わる。
※「朝日さす 夕日ほのめく 黄金 数かめ二百かめ」とも伝わる。

○神田の造り酒屋には、だれも入れない倉があるらしい。

○きつね・むじなに化かされた話多数、火の玉目撃も多数。

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