桐生・天満宮
景行天皇時代、上毛野国造が土師部の遠祖である天穂日命を磯部の岡に奉斎(磯部明神)、文治三年桐生家が守護神として崇敬し観応年間京都北野天満宮より菅原道真公の御分霊を合祀(梅原天神)、天正十九年現在の地に遷座。
明和八年社殿造営企図、安永七年起工、寛政四年遷宮、寛政十一年落成。 本殿に彫刻七面、上段に「本朝二十四孝の話」・下段に「唐子遊びの図」。
平成十五年十二月~平成十七年十二月、保存修理。
☆菅原道真履歴書・主幹北野天満宮
845年学者家に生まれ学者・文人・政治家として活躍、第六十代醍醐天皇右大臣となるも藤原時平讒言で失脚し太宰府に左遷され58歳で死亡。 道真死後京都で天地異変続発、官公の祟りと認められ・天暦元年朝廷が北野天満宮を創始し「天満大自在天神」として祀られた。 平安末期頃から、慈悲の神・正直至誠の神となる。 現在、受験合格・詩歌・文筆・芸能・学問などの神、農業守護・厄除け・病気平癒・冤罪などの神を兼務、多職多忙につき全国各地出張中。
※生前の業績と、非業の死を遂げた怨霊威嚇パワーが認められた。
※江戸時代の寺子屋で手習いの精神的支えとして祀られた、ことから文筆の神として天神信仰が広まった。
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