太陽暦(旧暦)
☆新暦
農村部では旧暦による農作業を続けたので、新暦が定着したのは戦後ともいわれる。 それまでは、一月一日に表向きの正月、家族での正月は二月という具合だったらしい。
☆旧暦(太陰太陽暦)
明治五年十二月三日をもって、明治六年一月一日とした。 旧暦閏月がある年は十三ヶ月、それが明治六年。 財政難の明治政府、月給を十三ヶ月分払うわけにはいかなかった。
☆太陽暦
明治五年十二月三日をもって明治六年一月一日となった。 喜んだのは一般庶民、晦日が無いなら借金返済無用・二日間働いて月給は一ヶ月分もらえる。 そこで政府は考えた、「十二月一日と十二月二日をまとめて十一月三十一日とし、十二月は無かったことにする」、よって月給は無し。
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