塩の長司
○塩の長司(長次郎)
加賀小塩に住む塩の長司は家裕福にして馬三百疋持つも、常に悪食を好み死んだ馬の肉を味噌や塩に漬けて食らうも、肉が尽きたため老馬を殺して食べた。 それからは毎夜、馬が夢に現れ長司の喉に食いつき・口から入り・腹中を傷め悩ませて出ていくようになり、ついに長司は死んでしまった。
☆やまくじら
江戸時代、ももんじ屋なる肉料理屋が、いのしし・しか・きつね・うさぎ・かわうそ・おおかみ・くま・かもしか・さる、などの肉を食べさせたらしい。 ただし、表向きは薬食と称し、「イノシシ」も「やまくじら」とよんでいた。
☆ももんじ屋
江戸麹町に山奥屋獣肉店開店、店先には「山くじら」の看板・イノシシは牡丹の絵・シカは紅葉の絵。
※江戸のももんじ屋は、甲州屋・豊田屋・港屋、など。
※明治五年「肉食解禁宣言」。
☆山鯨
獣肉鍋料理屋を、けだもの屋・山奥屋・ももんじ屋(百獣の意)、などとよんだ。
※古傘買い(から傘)なる行商がおり、シシ鍋用に売っていたらしい。
★猪肉はボタン、鹿肉はモミジ、虎肉は当然ながらタケ。
☆猪
古くは「山鯨」・「ぼたん」。
※猪をシシと読み、「唐獅子牡丹」から「ぼたん」とよんだらしい。
☆狸汁・狢汁
鎌倉時代「酒粕を腹の中に詰め・丸焼きにして食べた」との記あり。 古くは狸を食べた、その後精進料理となり狸は蒟蒻に代わった。
☆狼
江戸時代には、狼も食べたらしいが、硬かったらしい。
☆薬喰い
仏教的禁忌から獣肉を食べなかったが、寒中養生にとこっそり食べたのが「薬喰い」。
☆桜鍋
江戸時代、浅草光月町「こばやし」が元祖といわれる。
☆両国・ももんじや
享保元年創業。 初代豊田松乃助が漢方薬店「ももんじや豊田屋」を開き、その傍ら山くじら(猪肉)を食べさせていた。
☆さくら肉
江戸末期の都々逸「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めば花が散る」が源といわれる。
☆狢汁・狸汁
かなり臭いがキツかったらしい。 やがて、その色の感じから狸抜きになった。
※サツマイモをおろして水気を絞り・葛粉をつなぎに団子にして揚げ・コンニャクや豆腐などを入れた味噌鍋。
☆港屋・両国
両国にあった「山くじら」獣肉屋。
☆ももんじ屋
「百々の獣肉を売る店」の意。
☆ももんじ屋
鎌倉時代ごろにはすでに武士も農民も猪や鹿肉を食べていたが、五代将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」により表向きに肉食できなくなり、「薬喰い」と称して獣肉を食べた。 綱吉の時代が去り、麹町に獣肉屋「山奥屋(山くじら)」が開店し繁盛するようになった。
※「ももんじい」は獣肉の総称、猪・鹿・兎・狸・猿など食べた。
※享保四年両国詰めに「豊田屋」創業、後の「もゝんじや」、元来は漢方薬屋。
☆喉から手が出る
古くは、飲食物専用だった。
☆狸汁
狸より狢(アナグマ)の方が美味かったらしい。
○馬肉禁止
1881年頃、埼玉県下に炭疸熱が流行死者多数。 これを受けて、グンマでは馬肉を食うことは有害とされた。
コメント