いなり寿司
☆稲荷鮨
天保年間、簡単と低廉で庶民の間に急速に広まった。 弘化二年頃、油揚の中に雪花(きらず・おから)を詰めて売り歩いた。
※一時、狸鮨なるものがあったらしい。
☆稲荷
むかし村人が、鼠を捕る狐に感謝して・巣穴に農作物と一緒に油揚げを置いたところ油揚げだけ食べたので、「稲荷神社の守り神キツネ」に油揚げを供えるようになったともいわれる。(キツネは肉食)
※狐の大好物は「若鼠の油揚」、しかしこれを料理するのも・供えるのも嫌なので豆腐の油揚げとなったともいわれる。
☆かっぱ巻き
水神様には初生りのキュウリを供えた。 この水神様のお使いがカッパであった。
※陰陽では、胡瓜はカッパの大敵らしい
○しのだ寿司・吉益総本店
「信田の森のうらみくずの葉」の狐代身美人の舞台面である葛の葉稲荷の「信田」+稲荷ずしの「稲荷」。
☆釣狐
猟師に一族をみな釣り取られた老狐が、猟師の伯父の白蔵主という僧に化けて猟師のもとへ行く。 白蔵主は妖狐玉藻の前の伝説を用いて狐の祟りの恐ろしさを説き、猟師に狐釣りをやめさせる。 その帰路、猟師が捨てた狐釣りの罠の餌である鼠の油揚げを見つけ、遂にその誘惑に負けてしまい、化け衣装を脱ぎ身軽になって出直そうとする。 それに気付いた猟師は罠を仕掛けて待ち受ける。 本性を現して戻って来た狐が罠にかかるが、最後はなんとか罠を外して逃げていく
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