いくよ餅
○いくよ餅(幾世餅)
江戸名物菓子、 鈴木越後のようかん、鳥飼和泉のまんぢう、塩瀬のまんぢう、越後屋播磨の菓子、翁屋の翁せんべい、両国若松屋のいくよもち、浅草金竜山もち、吉原竹村の最中月、麹町たちばなやの助惣やき、麹町鈴木兵庫の菊一せんべい、麹町おてつぼたもち、深川船橋屋のねりようかん、向島長命寺の桜もち、の一つ。
○幾世餅・幾代餅
元禄時代、車力頭・吉兵衛に身請けされた幾世(源氏名)が、餅屋を始めたのが評判となった。 やがて「幾世餅」を名乗り売る店が増大した。 その後、江戸両国小松屋の名物菓子となった。
※浅草雷門藤屋も幾世餅元祖を主張したが、町奉行大岡越前の裁定は「両店相離れて商売すべし」。 しかし、両店ともこれを無視し商売をつづけたらしい。
☆幾世餅
普通の切り餅を長さ二~三寸の短冊形に切り・あっさりと焼いて・餡を中に包んだ。
元禄十七年両国橋西詰にて小松屋喜兵衛が 餅屋を始めた。 幾世は、女房の元源氏名。 天保のころには、若松屋との本家争いもあったらしい。
☆いくよもち
粟餅を丸めて餡の上を転がした、といわれる。
*餡の上をころがしたのが「あんころ餅」との説もある。
☆金龍山餅・浅草
元和二年、初代桔梗屋安兵衛が浅草寺境内に葭簀張りの茶店を出し・餅(桔梗屋の餅)を売り始めた。 享保三年に寛永寺第七世隋喜院公遵親王が「桔梗屋の餅」が気に入り、自ら筆をとり欅板に「金龍山浅草餅 享保三年」と記した。 この看板を自慢にした安兵衛は店頭に掲げたが、年市などには多くの参拝客が浅草寺に参り、伝法院ではこの看板に不敬の所業があってはと店頭警備に当たった。 その結果、この警備に恐れをなした客は店に寄りつかず・餅は売れなかった。 結局、この御親筆は自宅に保管されることとなった。
竹村
〇江戸名物
武士 鰹 大名小路 広小路 茶店 紫 火消 錦絵 火事に喧嘩に中腹 伊勢屋 稲荷に犬の糞
〇京都名物
水 壬生菜 女 染物 針 扇 お寺 豆腐に 人形 焼き物
〇奈良名物
大仏に 鹿の巻筆 奈良晒し 春日灯篭 町の早起き
〇大阪名物
舟と橋 お城 惣家に 酒 蕪 石屋 揚屋に 問屋 植木屋
※いずれも他説あり
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