霧積温泉の昔
○霧積川
金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。
※鼻曲山より浅間山
鼻曲山(天狗山)には天狗が住んでおり、四月十五日には天狗が湯入りにくるといわれ、この日の風呂は天狗様専用となり一般客は締め出された。
○霧積温泉
古くは「犬の湯」「入の湯」とよばれ、1880年碓氷温泉金湯社が設立されて大温泉地となったが、1910年水害によりほとんどを流失した。
※「人間の証明」の舞台となったといわれる。 伝説も多い。
○十一歳忌み(慈悲心鳥)
ある昔、母が子供を連れ温泉にきた。 しばらくすると、温泉の湯がバッタリと止まってしまった。 そして天狗が現れ「山の神の祟りがあった。 11歳の子を生贄として差し出せ」 11歳の子は他にいなかった。 しばらくすると湯がでるようになり、そこには母の姿があった。「私の子供を見かけませんでしたか、その辺に居ませんでしたか、十一の子・十一の子」。 やがて母は鳥となり山中にとどまり「ジュウイチ・ジュウイチ」と鳴き続けるようになった。
※十一は歳ではなくて名前だったとの説もある。
※また二歳の子供も連れていくなとも言われた。 伊香保温泉にも、「二歳忌み」があった。
《グンマを話そう》
○猟師と山男(霧積)
猟師が霧積の奥の岩場にトヤバを作って泊まり込んでいると、ある晩「今夜一晩泊めてくれ」と気味の悪い声がした。 そのうち、獣のような足が小屋の中に入ってきたので、アイクチで足を刺すと消えてしまった。 翌朝、川づたいでお湯の湧き出ている所に来ると、白髭の爺さんが足の傷をお湯で洗っていた。「悪いやつじゃなさそうだな。急いで家へかえれ。子供が火傷しているからこの湯を汲んでいって洗ってやれ」
猟師が急いで家へ帰ると子供が大火傷をして泣いていたので、汲んできたお湯で洗うとみるみるうちに治った。 こうして「霧積の湯」は「猟師が見つけた傷によくきくお湯」といわれるようになった。
○天狗の洗湯
歌川国芳、天保十四年(1843年)~弘化四年(1847年)頃
☆こだま
「木魂」が源、木の精が答えると考えた。
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