岩おこし
☆粟おこし
元禄年間、二ツ井戸津初代大和屋清兵衛がおこしを売り歩き、三代目津の津国屋清兵衛が粟おこしを作った。
☆濡れ手で泡
正しくは「濡れ手で粟」。 古くは、濡れた手で粟を掴むとた くさんついてきた様子。
☆岩おこし
身をおこし・家をおこし・国をおこし、と縁起菓子であった。 日持ちが良く・非常食として優れることから、明治三十七年明治天皇の「恩賜のおこし」となり戦地の兵士に配られた。 その後日露戦争が終わり帰国した兵士を中心に、岩おこしが一挙に広がった。
☆山菓子
古くは葬儀の後で会葬者に菓子(岩おこしなど)を渡し、その後は郵便はがきとなったらしい。
☆あみだ池大福
1805年創業、年貢米を運ぶ千石船の船底にたまった余剰米をおこしの原料とした。
二百年以上前小林林之助が大阪堀江あみだ池に「株式会社大黒」創業、大黒神崇敬により大黒を商標とした。 日露戦役当時には「恩賜おこし」35万箱製造、1948年「株式会社あみだ池大福」に改称。 創業当時は固い「岩おこし」だったが、明治三十年頃味と固さを変えた「粟おこし」となった。
※梅鉢の紋は、奈良時代に菅原道真が大垣に立ち寄った際村人が粟おこしを作って差し上げたたところ、喜んだ道真がお礼に梅鉢の紋が入った小袖をくれたといわれる。
戎橋
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