☆千疋屋総本店・東京都中央区日本橋
天保五年千疋郷(現越谷)槍術道場主大島弁蔵が江戸葺屋町(現人形町)に「水果子安うり所(水菓子)」を開店し、地元産の果物・野菜を販売。
当初は柿・ぶどう・みかんなど販売するも、二代目が八百善出入業者となり高級品を扱い、やがて徳川家御用商人となった。
三代目からバナナ・オレンジなどの果物を販売。 四代目が大正十四年銀座松屋にフルーツパーラーを出店、また「フルーツポンチ」を考案した。
※二代目までは弁蔵、三代目から代二郎を世襲
※戦前は九店あった





○新宿高野(1921年)
明治十八年に繭仲買・古道具屋の高野吉太郎が、布田五宿(調布)から角筈村に移り・果実屋高野商店を開いた。 明治三十三年四月果物商を本業とし、明治三十八年頃には果物専業となった。



コメント